さっき冷凍庫を開けて製氷皿を見たら、出来上がった氷の内一つがおかしなことになっていた。なにやら水平方向に真っ二つに割れて上半分が飛び上がった格好のままで凍り付いていたのだ。なにを言っているかわからないかもしれないが残念ながら写真は撮り忘れた。
以前もちょっとこれと似たようなことがあって、そのときは氷から角が生えていた。逆つららというか鍾乳石というか水滴が落ちたあとの水柱というか、そんな感じ。
こういうのを実際に見るとムペンバ効果とやらが実際にあったとしても全然不思議だとは思えなくなってくる。ウチの冷凍庫の中がトワイライトゾーンだというのでなければ。世の中はまったくもって科学的に説明がつかない不思議なことが起こるものである。
だが実際は科学的に説明が付かないわけではないのだろう。単に私たちの知っている科学がまだ現実という複雑系を完全に記述するほどに進化していないだけだ。だから水を単純なモデルに読み替えてシミュレーションし、現実世界の近似像を手に入れる。シミュレーションの世界では私たちがよく知っているように水は100℃で沸騰し、0℃で凍り、4℃の時に一番重い。実際にはもっと様々なパラメーターを取り入れてシミュレーションするのだろうが、そのパラメーター自体もまたモデル化されたものに過ぎないのは自明である。
しかし、科学的な視点や思考が尊重される現代においては、そこで用いられる単純化・一般化されたモデルを現実の事象そのものだと勘違いしてしまうことが往々にしてある。お湯の方が水より先に凍ると言われれば「そんなことはありえない!」と叫ばないまでも眉に唾つけて続きを聞くのが正しい教養人のあり方とされるだろう。
従って「水は80℃で沸騰する」と聞けば上記のような態度で聞くことになるわけだが、しかしこれは事実である。気圧が低ければ沸点は下がる。パラメーターを一ついじるだけでよく知っている「水」のモデルは姿を変える。
多くの物事を理解し、またそれらの関係性を構築し、推論を可能にすることを知恵と呼ぶのなら、事象のモデル化は知恵をつけるための有効な手段だろう。ただし、それですべてを分かった気になってしまうのは危険で愚かで傲慢だといえよう。
科学的な考え方を良しとする環境の中で、いつしか私たちはモデル化の脅迫に晒され、過剰な一般化を行ってしまいがちなのかもしれない。対象が水なら別に害はないが、人間を相手にもやってしまいがちじゃないだろうか。「あの人は○○(属性)だから△△(性質)だよ」みたいに。血液型とか星座とかその代表か(という例を出してしまうと「血液型占いははバーナム効果で…」とか「西洋占星術は統計学的に…」という話が出てきそうだがそこは趣旨ではないのでスルー)。まあそれくらいでもまだ別に問題ないけど一番やっかいなのが人種や国籍の話だろう。もちろん文化的背景を共有している集団には一般化できる程度に共通した性質もあるだろうけど、残念ながら先に決めつけたいモデルありきでの恣意的なモデル化が行われることが多いように思える。
というようなことを増田のこのスレ(?)を読んだ同じ日に冷凍庫の怪に遭遇して思った。元エントリーというよりはhttp://anond.hatelabo.jp/20081105183204から始まる枝での議論。