方言に関する放言

2001.09.28 Fri 19:03

僕の出身は三重県である。主に使用されている言語は「三重弁」であり、関西弁に似ている。東京の人が聞く分には区別がつかないようだ。

そんな中でも僕が小学生時代を過ごしたのは鳥羽市という海沿いの町だった。その後、松阪市の中学校に進学した。ここでは主に松阪弁が使用されていたはずだ。また他の町から来たやつらもそれぞれのオリジナル言語を使用していたに違いない。事実、皆微妙にイントネーションが違ったりした。僕は「鳥羽人」などと呼ばれたりした。僕が生来喋っていたのは「鳥羽弁」だったようだ。

高校まで松阪に通い、大学に進学するために上京した。というか本当は東京に来るために大義名分として大学に行く事にしたのだが。で、東京に来るとまわりが喋っているのは東京弁である。標準語とはどうやら違うらしいという話も聞く。未だによくわからないが。「片付ける」を「かたす」というのはこのとき初めて知ったので、この辺は標準語ではないのだろう。

地方出身者は東京に出てくるに当たって、言葉の強制を自らに課す者とそうでない者とがいる。僕は後者だった。この中にもさらに区分があって、頑なに自分の方言を崩さない者と、別に使う言葉が変わっていくのを気にしな者がいる。この場合も僕は後者だ。番外編のカテゴリとして、本人はバッチリ標準語を喋っているつもりなのだが実は方言丸出しという剛の者もいるが、まあこれは放置。

三重弁は確かに関西弁系であるため、よく「大阪の人ですか?」といわれたが「いえ、三重県です」というと相手は必ず一瞬戸惑うような気がした。それは多分三重県がマイナーだからだろう。僕は「三重県人」になり、僕の話す言葉は「関西系言葉」になった。

大学2年のとき、アメリカに留学した。ワシントン州の北部、シアトルの北、カナダに程近い場所で、これだけ北だとアフロアメリカンの姿はあまり見かける機会がなかった。同じ大学から留学したまわりの日本人の喋る日本語は皆標準語に近いものであり、僕の日本語の中の方言はいつのまにか影を薄めていった。僕は「日本人」になり、僕が話す言葉は「日本語」になった。

今では付き合いの浅い人の前で方言を出したりするとビックリされることもある。すっかり東京の言葉がなじんだようだ。

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